平成15年6月、茨木市中穂積で「すぎた子どもクリニック」を開業いたしました。
それまで医科大学を卒業して以来18年間、抗生物質や感染症の研究、また病院では小児科医として診療を行ってまいりました。
専門分野として感染症を選択したのは小児の病気の多くは感染症であり、今でも子供たちにとっては恐ろしい病気が多くあること、研究や新しい知識が即実際の診療に役立つものであったからです。
子供は社会の宝です。ご両親はもちろんのこと、社会全体が子供を守って行くような環境を作っていくことが大事であると思います。しかし、最近は子供たちに関する不幸な悲しいニュースが少なくありません。
社会が子供たちを育てるという心の余裕を持つ事ができない社会になってしまっているのかもしれません。


子育ての情報はインターネット・テレビ・雑誌等の一面的なものが多く、相談相手も周囲にいない、また核家族化が進み、多くの子供たちを見て育てた経験豊富な方が少なく、その情報が正しいものなのかどうか確かめる事すらできなくなっています。心の余裕が無い中での子育てとなり、また病院へ行っても、病気のこと以外なかなか相談する事ができなくなっています。その点を以前より憂いていた私は、何かお役に立てないか、同じ女性として、子供だけではなく、お母様の相談相手となれないか、難しい研究や重い病気を治すことだけでなく、このような事も医療として大事な部分ではないかと思い、その気持ちと共に開業する事と致しました。
しかし開業後、徐々に多くの皆さまにご来院いただくようになり、当初私が考えていましたようにゆっくりとお話しさせていただく事がなかなか出来なくなってきました。ひとりでも多くの方々を診させていただきたい。ですが、そうすることにより今度は、お時間を割いてゆっくりとお話しさせていただけなくなってしまい、また、私やスタッフが疲れ切ってしまうこととなり、より良い医療を提供することが出来ず、かえって皆さまにご迷惑をお掛けすることにもなってしまう等と、様々な問題が発生してまいりました。このような問題を解決すべく、今も試行錯誤している毎日です。
この度、以前の診療所より歩いて数分の場所に移転致しましたが、これも前診療所が当初より問題でありました2階に位置していたこと、また医療機器導入に必要な電気容量の不足などの諸事情があったためでした。今日までご来院いただいております皆さまにご迷惑をお掛けしないようにと、前診療所からさほど遠距離でないところへの新診療所移転となりました。
新診療所には診察室を2部屋設け、また隔離室でも診察が行えるようにしましたので、スムーズな診察で病気だけではなく、ご相談に少しでもお応えできるようになるかと考えております。
また以前より使用する事が少なかったレントゲン機器を設置するより、少しでも落ち着いていただける診療所を造りたく、必要に応じて最寄りの済生会茨木病院に依頼し撮影していただけることもあり、新診療所ではレントゲン機器を設置いたしませんでした。また、この度の移転地が住宅地により、院前の道路幅が狭く、行き止まりであることから近隣の方より患者様のお車の進入について、厳しくのご指導がありました事からお車でお越しの患者様には大変ご不便、ご迷惑をお掛けいたしますが、母と子と家族を守る。難しい話をわかりやすく。同じ女性の立場でお母さんと話し合える。当すぎた子どもクリニックのポリシーを忘れず、今後も地域医療に貢献してまいりたいと思います。
今後ともどうぞご支援のほどよろしくお願いいたします。

1978年 | 大阪府立茨木高等学校 卒業 |
1985年 | 兵庫医科大学 卒業 |
1985年 | 大阪医科大学付属病院小児科科学教室に入局 |
1986年以降 | 済生会吹田病院 小児科 医員 大阪医科大学付属病院 小児科学教室 専攻医 |
〜2003年3月 | 仙養会北摂総合病院 小児科 医長 大阪医科大学 小児科 非常勤講師 |
2003年6月1日 | すぎた子どもクリニックを開業 |
日本小児科学会専門医
小児感染症学会評議員
日本感染症学会専門医ならびに評議員
日本小児科学会、日本環境感染学会、日本小児感染症学会、日本感染症学会、日本化学療法学会





